二輪車を中心とした交通の歴史
【歴史】
1947 道路交通法取締法の制定
1951 道路運送車両方制定。道路運送車両法施行。
2ストローク60cc以下及び4ストローク90cc以下の二輪車については、「原動機付自転車」として新たに区分が設けられる。
1952 原動機付自転車は警察への届出だけで運転できるようになる。(それまではバイクを運転するには自動二輪運転免許が必要だった)
1953 車両保有台数は70万台。
1955 「カミナリ族」の呼び名がマスコミで使われる。バイクで通行中の別の車を無理やり追い抜こうとジクザグ運転をしたり、騒音で住民の安眠を妨害したする若者達を、当時のマスコミは「カミナリ族」というあだ名をつける。単車を買える恵まれた家庭の子を中心にしたモーターサイクルアウトロー集団。
1956 車両保有台数は110万台。交通事故死者数6,751人。
1958 ホンダ・スーパーカブC100、スバル360、ダイハツ三輪ミゼット発売される。
運転免許保有者数280万人。
1960 道路交通法制定。(道路交通法取締法を廃止)
自動車教習所の指定制度の導入。

●二輪免許区分●
原付(第一種)50ccまで
原付(第二種)125ccまで
自動二輪 制限なし
1961 第一次交通戦争(前年から交通事故死者が1万人を超え、日清戦争の死者を上回った)
当時の国民あたりの車両保有台数、交通量を考えれば異常な死者数であった。
1963 メグロ製作所がカワサキメグロ製作所に名前を変更。
高速道路開通(名神高速道路の栗東―尼崎間の71.1km。)
高速道路の80キロ規制制定。(開通時には二人乗りも禁止されていなかった。)
バイクメーカー・ホンダの自動車デビュー。
即日処理方式の交通切符制度が導入される。
1964 首都高速道路が開通。
東京オリンピック開催。
サーキット族・ローリング族が発生。警察は暴走行為多発地域に対し、二輪車通行禁止道路を急増させる。また、整備不良車両取締りを行う。
ベトナム戦争開始。
1965 高速自動車国道・自動車専用道路でのヘルメット着用義務化と二輪車二人乗り禁止。
名神高速道路で1964年度起きた二輪車人身事故32件のうち13件が二人乗り。首都高では16件のうち9件が二人乗りだった為。
このころより、サーキット族・街道レーサーが土曜夜から日曜朝にかけて駅前や繁華街をサーキットと見立て「サーキット遊び」「公道レース」が流行る。

●二輪免許区分変更●
原付 50ccまで
自動二輪 制限なし
1968 道路交通法改正。
交通反則通告制度を導入。
軽免許などを廃止。
1968年7月に、交通違反のうち一定の軽微な違反行為については「反則行為」として「反則者」に対して一定額の「反則金」の納付を通告し、納付しなかったときにのみ刑事手続に移行するという「交通反則通告制度」が実施に移された。
東大闘争始まる。
車両保有台数が1000万台を超え、1169万台となる。交通事故死者数14,256人。
1969 点数制度による行政処分を導入。
ホンダ DREAM CB750 FOUR発売され、「ナナハン族」が誕生。
国内販売モデルの排気量を自主規制(750ccまで)
暴走族問題、事故多発により各メーカーの自主規制で発売を見合わせたが、監督官庁が事実上750ccまでしか型式認定しなかったと言われている。
1970 交通死亡事故者数が16,765人になる。過去最悪。
車両保有台数は1652万台。
高度経済成長を向かえ、急速に車両保有台数が増えるとともに事故が増加。
ナナハンブームが到来し、24歳以下の交通事故死亡率が高くなる。
1971 テレビCMのメーカー自粛。
カワサキ・マッハ 750SS、スズキ GT750発売。
1972 高速道路料金区分から二輪車区分が消える。二輪車と29人乗りマイクロバスが同額に。
6月富山駅前で暴走する若者と見物客計2500人が暴徒化。
7月岡山、福山で同様の騒乱事件が発生。一連の騒乱で「暴走族」の呼び名が新聞記事に登場。
カワサキ Z1発売。
自動二輪車運転者(同乗者を含む)に対して、40q/hを超える道路でのヘルメットの着用を義務化。(罰則等なし)

初心運転者標識の導入。

●二輪免許区分変更●
原付 50ccまで
自動二輪(小型限定) 125ccまで
自動二輪(限定なし) 制限なし
1973 普通免許の路上試験制度を導入。
東京で自動二輪車の変形ハンドルが流行し、変形ハンドルによる事故が増加。
カワサキ Z750RS(ZII)が発売。
1975 ●二輪免許区分変更●
原付 50ccまで
自動二輪(小型限定) 125ccまで
自動二輪(中型限定) 400ccまで
自動二輪(限定なし) 制限なし

自動二輪車乗員(51cc以上)のヘルメット着用義務違反に反則点数1点(政令指定道路区間のみ)。

警察庁は1971年に暴走族使用車両の統計調査を行い、大型自動二輪が使用されていると結論。その翌年に限定解除制度の導入を決定。
しかし、限定解除試験はほとんど合格できないもので非常に厳しく、心象という基準まである為、服装、髪形、態度まで気を使う。
結局、限定解除試験が難しくなった為、無免許の暴走族が増えただけであった。しかし、小型限定免許で750ccに乗車しても条件違反だけで済んだ。

6月 暴走族 湘南七里ケ浜事件
最大規模の暴走族の大乱闘が、神奈川県湘南七里ケ浜で起こった。東京の暴走族と神奈川県の暴走族が対立し約600人が大乱闘。怪我人は警官5名、その他22名。車両炎上などで逮捕者は400人を越えた。

神戸まつりに伴う不法事案
5月15日夜から翌16日未明にかけ、神戸市内における神戸まつりに伴い、暴走族が群集を巻き込みながらい集(最盛時約6,000人)し、一部の者が、タクシー等通行車両を襲い転覆、放火したり、警察施設を含む建物等に放火したり、更に取締り警察官に投石するなどの不法行為を繰り返し、取材活動中のカメラマン1人が死亡し、負傷者68人を出したほか、警察署、派出所等建造物7棟及び警察車両、タクシー等車両184台を損壊するなどの集団不法事案を敢行し、156人が検挙された。

警察が本気で激怒した時代に突入。
警察官が暴走族の前に警官が立ちはだかって、走ってくる暴走族の顔や体めがけて角材のような長い棒で殴りかかる。
容赦の無い取締りを見ていた野次馬が腹を立てて大暴れしたのがテレビニュースで取り上げられた。
そしてそのせいか、広島東署新天地交番(中区)を暴走族を含む約1000人が取り囲み、投石事件が発生。
だが、検挙は相変わらず続き、暴走族はやや減る。
1978 一般道路においても自動二輪車運転者(同乗者も含む)に対するヘルメット着用が義務化。原付車に着用の努力義務化。
1981 道路交通法施行令の改正により、1月から、共同危険行為等禁止違反に対する基礎点数が引き上げられ、1回の違反で運転免許の取消しを行うことができることになった。その結果、1981年の共同危険行為等禁止違反に係る行政処分6,257件のうち、運転免許の取消しは2,888件で、前年の2.7倍と大幅に増加。7月からは、集団暴走行為の際にナンバーを隠ぺいする行為についても運転免許の行政処分を行った。
1985 自動車のシートベルト着用義務化。
3車線以上の道路における原動機付自転車の二段階右折の義務化。
1986 50cc以下の原付車へのヘルメット着用が義務化。反則点数1点。
1992 ○高速車 60km/h(大型乗用自動車・普通自動車・250ccを超えるの自動二輪車)
○中速車 50km/h(上記以外:大型貨物・大型特殊・けん引自動車・250cc以下の自動二輪車
○低速車 30km/h(原動機付自転車)
と分かれていた、中速車区分の廃止され、原付を除く法定速度が60km/hに。
1994 優良運転者に対して更新期間の延長(3年から5年に)。
1996 二輪免許区分が変更され、今まで小型限定免許で750ccに乗車しても条件違反(2点)が無免許運転(19点)に。

●二輪免許区分変更●
原付 50ccまで
普通自動二輪(小型限定) 125ccまで
普通自動二輪(限定なし) 400ccまで
大型自動二輪(限定なし) 制限なし
1997 高齢運転者標識の導入。
1999 運転中の携帯電話使用禁止。
2000 自動車に6歳未満の幼児を乗車させる際、チャイルドシートの義務化。
軽自動車・自動二輪車の高速道路法定速度の変更(80km/hから100km/hに)
2002 酒酔い運転、酒気帯び運転、死亡事故など悪質・危険な違反の罰則強化。
免許証の有効期間を原則変更(3年→5年)。
2005 高速道路での二人乗り解禁。
自動二輪車に「AT車限定」免許を導入。
2006 駐車違反取締りを民間委託し、放置違反金制度を導入。二輪車の取締り台数が急増する。
2007 普通自動車・大型自動車の免許区分が普通自動車・中型自動車・大型自動車にわかれる。
飲酒運転・ひき逃げの罰則強化。
2008 自動車の後部座席シートベルト着用義務化。


二輪車情報室
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